パニックを演出する扇動者たち ─ “コロナ危機”もう一つの脅威
どうもこんにちは、ma-ya’s CREATE[まーやずくりえいと]です。
「コロナ危機」が本格化しております。
緊急事態宣言待ったなしのこんな状況、正直予想してませんでした。
逆になんとなく予想できたのは、物資の買い占め。
思い起こせば今年2月頃からマスクが無くなり、何故かその後にトイレットペーパーまで品切れになる事態になりました。
この「非常時に何故か起こる〇〇騒動」、実は日本の歴史上何度も起こっています。
非常時に起こった〇〇騒動
オイルショック時のトイレットペーパー品切れ騒動
1973年に起こった原油高騰で「紙がなくなる」というデマが流れ始め、あっという間に全国に飛び火、生活必需品であるトイレットペーパーの買占めが行われました。
しかし当時の日本の紙生産は安定している状況で、結局はデマの拡散によるパニックが原因で引き起こされたものでした。
豊川信用金庫事件取り付け騒動
1973年に起こったデマによる銀行取付騒動。
「豊川信用金庫が倒産する」という根も葉もない噂が瞬く間に拡散され、パニックになった人々がこぞって豊川信金から預貯金を引き出すことに。
その額は短期間で約20億円にものぼったとか。
3.11東日本大震災時の買い占め騒動
記憶に新しいのはこれですね。
東日本大震災では東京でも震度5~6程の地震が発生し、東北の惨状もあいまってパニックが発生。
コンビニからは飲料水をはじめとする様々な商品が買い占められました。
「コロナ危機」におけるトイレットペーパー品切れ騒動
上述の通り、今回の「コロナ危機」でもSNSによるデマ拡散の末、トイレットペーパー品切れ騒動が発生しました。
マスクはともかく、トイレットペーパー不足の事実関係に関しては多くのメディアで「デマ」と伝えられています。
本当に怖いのは何だ?
コロナウイルスは確かに怖い。でもそれ以上に怖いのは過剰な集団心理「パニック」なんじゃないかと思います。
みんなが正常な判断能力を失っている社会状態ってむちゃくちゃ怖くないですか?
さらにゾッとするのは、こういう危機的状況下で何を勘違いしたのか自分を「扇動者」のように思い込む輩が少なくないこと。
SNSでいち早く出所の分からない情報を乱発信しまくるヤツの口調は、いつも斜め上から&謎の使命感に燃えていて、「誰なんだきみは」と突っ込みたくなることもしばしば。
でもパニック環境下では周りも正常な判断が出来ないんです。
普段なら疑ってかかるような言動も、なんだか「ありがたいお言葉」のような気がしてとりあえずリツイート。
その中の何割かは新たな扇動者として活躍されることでしょう。
外出自粛が求められる中、過熱した集団心理の批判の矛先は当然、「それでも外出している人々」に向けられる気がしてならない。
外出自粛の影響で客の来なくなった店舗経営者とその家族はどうなるんだとか、家庭環境その他諸々のパーソナルな事情から「家に帰れない」「帰る家が無い」人々はどうなるんだとか、ふと立ち止まって考えることがパニック状況下ではすごく難しくなると思う。
扇動者の心理
そもそも扇動者ってどういう心理状態なんだろう?
いや全員ひっくるめてパニック状態なんだろうけど、それとは別に扇動者特有の心境みたいなものもある気がしてならないな、と考えていたら日本の井戸端文化に行きつきました。
井戸端文化(=井戸端会議)は文字通り、「かつて長屋の女たちが共同井戸に集まり、水くみや洗濯などをしながら世間話や噂話に興じたさま」(引用:wikipedia)で、地域コミュニティのネットワークとして機能した文化のこと。
地域の人々が互いに声を掛け合うことで、近隣住民のコミュニケーションや様々な情報の共有の場として古くから機能してきました。
そういったメリットがある一方、井戸端会議で交わされる会話は「情報のマウント合戦」になる傾向があったそう。
つまり嘘か真かは問題ではなく目新しい情報を話した者勝ち、さりげない親切心やおせっかいの皮を被り、己が優越感に浸るために「悪意なきデマの拡散」が行われる場でもあったということではないのか。
そう考えると「扇動者」の“いつも斜め上から&謎の使命感”の説明がつく気がしてくる。
しかも今はSNSによって全世界に向けて誰でも情報を発信出来る時代で、「扇動者」にとってはこれ以上無いフィールドが用意されてるわけです。
2ちゃんねるの開設者・ひろゆき氏が昔言っていた「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」というのは、現在は掲示板ではなくSNSの方が当てはまる気がしてきます。
静かなるパニック
そんなことを先日居酒屋で小一時間ぼんやり考えておりました。
我が愛すべき加賀屋本郷三丁目店も外出自粛のあおりを受けて客が減ってます。
「また来ますー」と挨拶して早めのお勘定。
そんな状況でも店主はいつも元気で、なんだか少し救われる思い。
あ、念のために言っておくと、ぼくはSNSを否定するつもりも、扇動者を批判するつもりもないです。
何にでもメリットデメリットがあるわけで、SNSにも扇動者にもポジティブな側面は必ずあると思う。
でもその前提には、周りの人々が正常な判断能力を持つことが求められると思ってます。
パニックは恐らく誰にでも訪れるでしょう。本人が自覚しているかどうかに関わらず。
油断すると、いつのまにか無自覚にその波に飲まれていることだってあるかもしれない。
結局のところ、一人ひとりが意識的に少しだけ冷静になるだけでパニックは未然に防げる──。
そんな至極当たり前の結論に辿り着きながら、途中のスーパーでギリギリ売れ残っていたトイレットペーパーを買って帰宅しました。
家にはストックがまだあることを知りながら。
まあつまりは、そういうことです。